記憶に残る宿って?

皆さんこんにちは(^^)

今回は前回の続編になります。

まだお読みでない方はぜひご一読いただくと、今回のブログが3倍楽しめると思います!

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それでは、本編スタートです!

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目次

私が思う記憶に残る瞬間

前回の記事で、ペンションを開業したら「お客様の記憶に残るような宿にしたい」と宣誓をしました。

ではこの、「記憶に残る瞬間」とはいったいどんな時なのでしょうか?

人間は感情が大きく動いた瞬間しか、記憶に残らない。 と、何かの本に書いてありました。

感情が大きく動かされる瞬間。

人々は、自らの感情を強く思う。

裏を返せば、感情が大きく動かぬ瞬間は、きっと記憶にも残らない。

例えば、「あなたのこれまでの人生について語ってください。」と言われても、想起されるものは、漠然としながらも、基本的に大きく心が動かされた記憶ばかりです。

「3年前の今日、何を食べたか教えてください」と言われても、余程印象的なものでなければ、思い出すことは困難なことだと思います。

何気ない日常は後々の記憶には殆ど作用しない様が、ここからも伺えます。

つまり、何気ない日常をただ提供するだけでは、お客様の心を動かすことは出来ないわけです。

非日常こそ

ということで、目指すべき方向性が少し見えてきました。

お客様にとっては、旅行に行くということ自体が、既に「非日常」なのかもしれません。

しかし、ペンションに限らず宿の従業員として働いている側の人間はどうでしょう。

同じ経路で出勤。

同じ場所の清掃。

同じ道具を使って調理…。

いらっしゃるお客様は毎日違えど、どうしても変化が生まれづらい環境のため、毎日毎日が「日常」になってしまいやすいと私は思います。

お客様の「非日常」を、お迎えする側である私たちが「日常」の一部としてお迎えしてしまっているようでは、お客様に本当の「非日常」を提供することは難しいでしょう。

最後に

何気ない日常ほど大切なものはないといった意見をよく耳にします。

しかし、果たして本当にそうなのでしょうか。

私はこの論は半分正解で、半分間違いだと思います。

日常は、確かにかけがえのない日々だと思います。

しかし、私たち人間はロボットや機械ではありません。

せっかく感情というものが備わっているわけですから、何気ないことを何気ないと流すのではなく、もっと己の感受性を高めて、小さな感情の変化も大きな感情の変化として捉えられるようになれれば良いのではないでしょうか。

そうすることで、毎日新しい発見をすることが出来て、いつの日か、私たちの日々は非日常の連続であることに気づけるようになるでしょう。

そうやって紡いだ日々の先に、豊かな人生は待っているのではないか。 と、最近考えています。

これに関しては、様々な考え方があっていいと思います。

しかし、私は「これまでのどんな人生でしたか?」と聞かれた時に、人より多くの事を笑顔で堂々と熱く語れる人間でありたいなと思います。

せっかく感情なんて素晴らしいものが、私たちの心に備わっているのですから。

最後までお読みいただきありがとうございました(^^)

次回に続きます。

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